心屋仁之助さんが提唱する神社ミッションというものが一部はやっているようです。霊能者として、この方法は有効かどうか。危険性はないのか解説します。
目次
神社ミッションとは
できるだけ寂れた神社に行く
ご利益のなさそうな神社を選ぶこと。となっています。そういう神社が身近にない場合は、大きい神社でも構わないそうです。
特にお願い事をしたり、感謝の気持ちを表すわけでもなく、「はい」という気持ちで賽銭箱にお金を納める
神社って願をかけるためにお参りに行ったり、日頃の幸せな生活のお礼のためにいったりしますよね? そういう大きな意味をもたせずに、何気ない気持ちで行うことがポイントだそうです。
基本的には1万円を納める。1万円以上でもいいし、1000円でもいい
普通はそんな金額を納めないというような高額に設定することがポイントです。基本は1万円だそうですが、中には10万円や20万円納める人もいるようです。逆に1,000円でもいいようですね。
神社以外にも、教会やお寺でもいい
ただ、できるだけ名前やお願い事などの「見返りの期待できない場所」がいいみたいです。神社ないといけないというわけではないようです。
神社ミッションの目的
一見すると、なぜこんなことをするのだろう。と思うでしょう。でもきちんとした目的があるようです。
執着を捨てる
基本的な目的は「価値を感じられないところにお金を払う」ことです。お金に執着している気持ちを価値を感じないところにお金を払うことによって、お金に固執し、それに振り回されている心から解放される。
そうすることによって清々しい気持ちになることができる。自由になることができる。むしろ素晴らしい何かを受け取ることができる。ということのようです。
「ある」から出す、のではなく「ない」けど出す、ことで「ある」が起きる
お金があるから寄付をするという考えじゃなくて、お金に困っているからこそ、お金を出す。その執着から脱して、至った境地にこそ本当の価値が舞い込んでくる。ということのようです。この「ある」というのは執着からの解放。真の自由ということだと思いますが、実際に、納めた金額以上のお金が舞い込んだという話も散見できます。
儲かることが真の目的ではない
主な目的がお金の執着からの解放であり、儲かるためではありません。むしろ損することがほとんどだそうです。そもそも得したいということ自体執着なので、そこから解放されてすっきりするということに着目しなくてはなりません。言われてみると株なんかの投資ではないので、そこら辺を間違えるといけないようです。
気持ちがすっきりする
執着からの解放からなのか、これまでの自分の価値とは違う動きをするからか、気持ちがすっきりするようです。とても清々しい気持ちになるということです。
仁科的解釈
以上までが、神社ミッションを仁科なりに調べた内容です。私の見解は入っていません。これからが、仁科の見解です。果たして神社ミッションは有効か。ということです。
メリット
私も神社に高額なお布施をすることがありますのでよく分かります。確かに清々しい気持ちになりますし、細かいことで悩んでいたことが馬鹿みたい。と思えるでしょう。
また人に優しくなれるというか一皮むけた気持ちになるのも確かです。この快感はやってみた人しか分からないものかもしれませんね。だって、高額なお金を手放すものですから、それを見ているだけの周りの人は理解できないでしょうね。1万円もあれば、旅行に行けるのに……美味しいものが食べられるのに……そんなお金があるのなら俺にくれ。などなどの感想をもつでしょう。
でも、やった人は満面の笑み。よい価値にふれた。より高い境地に達することができた。という喜びにふれることができる。この表情を見て周りの人は不思議に思うでしょうね。
また、執着から解放し、清々しい気持ちになるということは、ものの見方が変わることも意味しています。執着のあまり見えなかったものが見えてくる。そういう感じでしょう。そこから新しい発見をすることができる。更に世界観を広げることができる。そこからひらめきで新しいことにチャレンジする。そういう変化がより幸せな価値を引き寄せる。
つまり神社ミッションを行う価値とはここにあると思います。この変化は表面だけを見るとお金が増えることかもしれません。しかしそれが本質ではありません。手放すことによって得る価値の一端として更に多くのお金が返ってくる。そういうことだと思います。
心屋さんは、「いままでたくさん神社ミッションしてきましたが、何か返ってきたかというと特にありません(笑)」
といわれています。この特にないというものは表面上の目に見えるものがない。つまり俗物的な利益がないというだけのことで、そこを神社ミッションを行うことによって期待するということは的外れだということを諭したのだと思います。
デメリット
ここからが大事なことなんです。本稿の要旨といっても過言ではありません。
神社ミッションには価値がある。私はこの立場です。そういう意味では私も神社ミッションをしています。それは仕事柄別の目的意識をもってなんですが、神社ミッションの目的である執着への解放を実感していますので、むしろ推進したいという立場です。
しかし、「寂れた神社を選ぶ」というのがよくないんです。
寂れた神社は霊スポットになっていることが多い
寂れた神社を選ぶ理由は、ご利益がないだろうという場所で行うことが効果あるということでしょうが、霊的に見ると神様が不在だったり、狐などの動物霊が支配していたりと、霊的に良くないスポットになっていることが多くあります。
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狐などの動物霊のエネルギーになる
お賽銭を奉納するというのは、その神社に霊的に力をつけさせることになります。つまり、狐などの動物霊が支配している神社の場合、その動物霊の力になってしまうんですよね。それらの動物霊は、人に憑いたり、土地のエネルギーを下げたりします。その働きを強めてしまうことになるんです。
現実世界で例えるならば「暴力団の資金源になる」というのに近いです。神社ミッションで納めたお金が、人が悲しむことのために使われる。というのは不本意なはずです。
狐などの動物霊とつながってしまう
奉納するとうのは、その神社の神に対して信仰するということにつながってしまいます。本来の奉納の意味は違っていたとしても、霊的にはそういう意味合いをもってしまいます。またエネルギーとしてのお金をくれた人を易々と手放すでしょうか? 目をつけられ、更に搾取しようとします。それに応じなければ罰を当て、自分の元へ呼び寄せようとします。
もし、神社ミッションをして、なぜかまた同じ神社で奉納したい。もっと大きな額を奉納したい。と思ったら、神社ミッションをすることによって執着から解放されてその価値にもっとふれたいからというポジティブな感情ではなく、そこの動物霊から目をつけれれて、引き寄せられている可能性もあるので注意が必要です。それは麻薬にも似た中毒性があるので、執着からの解放どころか、神社に対する依存性につながっていきます。
お勧め神社ミッション
寂れている神社を選ぶというところ以外は、現行通りで大丈夫です。
大事なのは神社の選び方。
寂れている神社じゃなくて、しっかりとした神社を選びましょう。選ぶ基準を説明します。
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事前に調べておく
初めてのカフェやレストランなどに行くときなど、あらかじめ口コミなどをチェックしませんか? 神社もその名前で検索すれば結構ヒットします。そこで、嫌な気分になったとか、後から肩が重くなったなどそういう感想が書かれていたらやめたほうがいいですね。
そういう意味では口コミがないような無名の神社で行うにはそれなりの覚悟がいるということですね。本来の神社ミッションはそういう神社こそ推奨されるのでしょうが、ハズレを引く可能性が極めて高くなります。
神社って参拝するとよい神社よりも、霊などが多く居て参拝することによって運気を下げる神社の方がむしろ数として多いということを覚えておきましょう。
手入れが行き届いていない神社で行わない
草が生え放題。落ち葉で参道が埋め尽くされている。手水舎の水が腐っている。そういう神社は高確率でアウトです。神様がいらっしゃらない可能性が高まります。そればかりか、何度も書いているとおり、狐などの動物霊が支配している可能性があります。
御利益がなさそうな神社を選ぶ意味はこれまでに書いてきましたが、御利益がないばかりか霊障が発生してしまう事態は避けた方がいいですよね。すっきりするどころか霊とのしがらみを生んでしまうのでは逆効果です。
いきつけの神社を決めておく
神社は相性があります。みんながいいと言っている神社に行ってもいまいちぴんとこなかった。そればかりじゃなくて体の調子が悪くなった。ということもあります。逆にここの神社は落ち着く。小さい頃からお参りに行っている。そもそも自分はそこの氏子だ。そういういう神社がある場合は、その神社で神社ミッションを行うようにしましょう。
そういうなじみがある神社があるのに、わざわざ別の寂れた神社に行って悪いものを持ち帰るのもどうかと思います。
仁科が個人的にお勧めする神社
私の個人的な感情で書くと阿蘇神社がお勧めです。
私は先日、阿蘇山が噴火した次の日に阿蘇に旅行で行きました。阿蘇に行くなら阿蘇神社と思い、参拝したのですが、熊本地震の影響で見るも無惨に倒壊していました。また噴火の影響で灰にまみれていました。
私は心を痛めながらも手を合わせたのですが、本殿に神様がいらっしゃって、倒壊している中で一心不乱に祈りを捧げていらっしゃいました。
そのためか、阿蘇神社はかなり倒壊していましたが霊的にはかなり清浄でエネルギーに満ちあふれていました。そのお姿に涙が止まりませんでした。そしていてもたってもいられなくなってお金を奉納させていただきました。
阿蘇神社の復興には莫大なお金が必要です。行政からの補助も完璧じゃありません。みんなの寄付によって決まってくる部分があるようですね。
私が何を言いたいのか。それは阿蘇神社に寄付をしましょうという宣伝ではありません。神様不在で狐が跋扈し、奉納することで悪事に荷担してしまうことにつながっていくという神社がある一方で、本殿が倒壊して悲惨な状況にあるのにも関わらず、変わらず祈りを一心不乱に捧げる神様がいらしゃる神社もある。
この現実をどう受け止めますかという単純な話です。
まとめ
いかがでしたか?
私としては神社ミッションを推進していきたい立場です。ですが、やり方次第では逆効果。そう思います。
寂れた神社はむしろ霊を拾ってしまうことがある。その事実を知っておくだけで行動が少し変わると思います。
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寂れた神社に行く事は自殺行為です。考えられません❗私は寂れた神社ではなく、四谷のカトリック教会のスペイン語のミサで、強烈な頭痛と吐き気に襲われ、蛭のような霊体が体にひっつき大変な思いをしました。それ以来、スペイン語のミサに行く事は止めました。寂れた神社でも同じ事が起こるかもしれません。
神社ミッションの考えは共感できるんですが、寂れた神社を選ぶというところはちょっとまずいかなと思って書かせていただきました。
共感していただき大変うれしいです。
スペイン語のミサがそのようなことになることは初めて聞きました。勉強になります!
スペイン語のミサはペルーの犯罪者が来るからと思います。泥棒が来ていました。
実家の近くの石津太神社も絶対に行きたくないです。寂れていますし、石津という土地が嫌いなので近寄らないです。