【自殺を考えている方々へ】自殺未遂経験者が語る自殺した後の悲惨な現実!自殺した後の世界は地獄のようなところだった!

蒼色庭園では、自殺後、成仏できずに苦しんでいる霊を沢山見てきていることから、どんなことがあっても自殺をやめるように訴える立場をとっています。別記事でも、賛否が分かれるのを覚悟で主張させていただいています。

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この記事のコメントの中で、自殺未遂を経験し、自殺をしたらどうなるのか垣間見た猫島さんが生々しい体験談と自殺を望む方たちに対するメッセージを寄せていただきました。経験者だからこそ語る力強く鮮烈な言葉はぜひとも多くの方に読んでもらいたいと、猫島さんにお願いし、加筆修正をしていただき再掲載することにいたしました。

自殺をするとどうなるのか。どんな苦しみが待っているのか。障害を負いながらも力強く生きていきたいと誓った訳とは。是非とも読んでいただきたいです。

 

【自殺未遂体験談】

自殺からあの空間へ

少し解り辛い文章となりますが、良かったら、読んでみて下さい。

私は以前、極度の鬱状態から自殺を試み、運が良かった(?)せいで、今日の日まで生きております。ただ、命が救われた代わりに、私の身体は一生直ることの無い障害を抱えることとなりました。それら全てを受け入れた上で、自分自身と向き合う生活を今日まで送って来た私の話は、想像だけのお話とは少し異なる印象があるかと思います。

ご興味がある方は続けて読んでみて下さい。

未遂時、私の身体は高いところから落下して頭部も強打した為、脳内の出血が止まらない状態にあったそうです。もしも、この状態が続くのであれば、命の保証は出来ないと、私の家族は医師から告げられたと後に聞きました。

その頃、私は物凄く怖い夢(?)の様なボンヤリとした空間を一人さ迷っていました。今振り返っても、その空間で感じた全ての恐怖心や苦痛の感覚は、口頭でも上手く表現出来ず、又、文書でも形容し難い、何とも言えない体験でした。ただ、徐々に頭がハッキリして来るに従って(※この世に戻って来る経過を意味します)当初「死」を求め自殺をした筈の私でありながら「あそこを通るなら、二度と自殺はしない!」と胸に誓いました。

 

あの空間は夢なのか?

あの空間には、この世に存在するあらゆる類の恐怖や苦痛とは比較にならない規模のものが存在すると、今振り返っても思うのです。もしかすると、単なる夢かも知れません。

でも、それを体感した私自身が、「単なる夢」と思い切れない何かを感じているのは事実です。その証拠に、自殺未遂で自らが招いた障害と向き合う事を余儀なくされた自分に何度絶望したか解りませんが、どんなに惨めで辛くても「自殺」だけはしない自分が、今現在でもここに存在しています。

後に知ったのですが、私が自殺未遂をして生と死の狭間に立っていたその日は、既に他界していた、うちのお手伝いさんの命日だったのです。他の兄弟もいる中、生まれた時から私を一番可愛がってお世話をしてくれた彼女の事を考えると、私の命が救われたことと、彼女の存在は全く無関係だとは思えないのです。この不思議も、きっと紐解くことは出来ない事の一つでしょう。

 

一秒たりとも心が軽くなる隙間のない空間

死にたい・死ぬしかない、という想いは個々に異なると思いますが、私はそんな想いが一気に押し寄せて来る苦しさ、絶望感を、経験のない人間よりは解っていると思います。でも、そんな絶望感の中でも、窓から吹き込む穏やかな風を肌で感じ、ほんの一瞬でも、気持ちが軽くなる瞬間というものが訪れる可能性があるのが、“この世に生きている証”だと考えているのです。

一方、自殺をして身体を失った魂となると(※亡くなってしまった場合)戻れる場所もなく、物理的な身体を失ってしまったので、現実に存在する者達に意思を伝えることすら出来ず、自殺時に抱えていた問題からも解放されぬまま、ただ苦痛と孤独が待っているあの空間に送られるのだと思います。

彼方の世界(※あの空間)では、自殺時に持っていた重くやり切れない気持ちが更に重みを増して、自分に圧し掛かってきます。その状態は変化なく、又、果てしなく続くものだと、感覚的に感じました。

そして、あの空間には1秒たりとも心が軽くなる隙間はありませんでした。そんな苦しみの中、幾ら望んでも実家には帰れない不思議な時間が続きましたが、家に帰れない理由は今でも解りません。

とにかく不思議な空間で、肉体的な苦痛より、心理的に追い込まれる種類のものだと思っています。その状況が長年に渡り続いたら、基は人間だった者が、別物に変わり得るのも納得出来ることです。

ただ不思議なのは、誰に教えられることがなくとも、漠然と「あの空間は自殺者の行き場」と捉えた自分自身の感覚です。感覚というよりは、本能に近い気もします。

 

生きていればこそ

人間とは可笑しなもので、生きているうちにだんだんと思考は変わるものす。私の場合、今まで良しとしてきた自分の価値観が、いかに俗欲的で、時代的な概念に影響されていたかを痛感致しました。これは、生き残り、自分の障害と向き合ってから持ち始めた新たな思考です。健常者のまま生きていたら、学べなかった価値観だ、とも解釈しています。

この文書は「自殺」について語るものだと理解した上であえてお話しすると、極端な話、自殺まで行かなくても、自分の置かれた現状に満足していない人が実に多いと私は思うのです。

平凡な毎日を嘆く人を見ると、本当に残念な気持ちになります。平凡であることが、どれほど恵まれているのか?を理解していないことが、実に勿体ないのです。
そして、それが自分自身を打たれ弱くさせてしまう原因のように思います。

平凡が基準値を下るのであれば、あらゆる出来事が悲劇になり得るのです。そして本当の苦しみに直面した時、どう乗り越えるか?が問われる部分だと思います。

とは言っても、きっと、ご自身の身に本当に受け入れ難いことが起きない限り、それを実感するのは難しいことでしょう。でも、気付きは遅くても良いのです。生きているうちに学びさえあれば、早くても遅くても関係ないと私は思っています。

 

辛い時には「そこには必ず学ぶ必要がある」と思うようになった

お話は戻りますが、そういった意味でも「自殺」は絶対に避けるべきだと思います。生死に関しては、リセットのボタンが無いのが人生だと思います。記憶や頭の状態が落ち着いて来た時、私が思った事のもう一つは【神様は勝手に死なせてくれない】というものでした。

いずれにしても、あの空間には二度と足を踏み込みたくない意も理由して、再度自殺を試みることは今日までありませんし、今後もないと思っています。

人間なんて、本当はちっぽけな存在なのです。自分の計画を通せる筈もないのに、勝手に錯覚してしまうのです。

「自分の身体は自分の物だと」。

でも、それは本当に大きな間違いだと、今の私は考えます。本当は、死ぬ時期も選べなければ、死に方も選べないのが人間なのです。

「自殺」を選択肢に入れてしまうのは、錯覚がそうさせるだけで、本当に想像を超える恐ろしさがあることを、この世にいるうちに悟るのは難しいことでしょう。私が述べて来たことは事実か? と、断言は出来ませんが、少しでも気になったら、自分の人生の選択肢から「自殺」は外して下さい。

自殺未遂以降、辛いことと向き合った時、私は

「ソコには必ず学びの必要がある」と捉えるようになりました。

“自分は不運だから不幸”と解釈するのではなく、“学びの必要があるから、向き合う壁”と対面しているだけなのです。そして、その学びは先々の自分の支えとなることも意識してみて下さい。

 

あの空間はこの世でいうところの「地獄」なのではないか

余談ですが、わたくしが自殺を試みたのは2011年で、あの悲惨な震災の日から、約4か月後だったのですが、あの空間も含め、私の意識がこの世に不在中の間何故か私は震災があった地方にも行っているのです。

コレも本当に夢かも知れませんが、そこには大人も子供も含めた大勢の人が家に帰れずに避難と移動を繰り返していました。観ている限りでは、皆自分のことで精一杯といった感じで、親切な人と関わることなどありませんでした。

今の私の解釈では、恐らくあそこも、天に昇れない人達がどうすれば良いのか解らずにアタフタするのを繰り返している場所だったと思えるのです。だから、当然、人を助ける程の余裕のない人達にしか会わなかったのかな?と。

恐らく、自殺した人に限らず、この世に未練を残し昇れない人達や、自分の死を認知出来ていない人達が集められ、肉体を失った時と同じ思いのまま、苦しみや不安を抱え同じ場面を延々と繰り返すのでしょう。

そして多分、其処は、この世で言うところの「地獄」なのではないか?と思えてしまうのです。私は何の宗教も持たず、又、修行した経験も無ければ、学問として哲学を学んだことも一切ないのに、何故この様な思考を持つようになったのかは不明です。キッカケは、あの空間、であることは間違いありません。

 

自殺を思い立ったときには……

自分自身の価値が見いだせなくなったり、不幸だと感じた時は今一度振り返って頂きたいです。

あなた自身が持つ「不幸」の定義とは何ですか? 見いだせない自身の「価値」とは、具体的にどのようなものですか?

普段の生活で、自分が当然のように使っている定規(※じょうぎ・物差し)自体、何かに染まっていませんか?とお伺いしたいです。

時の概念とは恐いものです。価値観すら変えてしまう力もあります。でも、それに踊らされる必要もないと私は思います。五体満足が「通常」だという基準は、誰が決めたのかも不思議です。

大切なのは今(点)だけを見るのではなく、現在・過去・未来といったように(線)で見つめ直すと、なるほど、つじつまがあったりします。

自分は不幸で苦労ばかり、と考えるのであれば、尚更、
「私は何を基準にして物事をみているのだろう?」
と見直すのも一つです。

自殺した方をお身内や近しい方に持つ方々に取っては、聞くに苦しいお話だと思いますし、苦しんでいる方々からすれば、逃げ場を失ったかのように捉えられるのも十分承知しています。

それでも私は自分の体験から、一人でも多くの方が自殺によって命を落とされ、あの世界に連れられることがなくなるよう、この様な立証出来ない体験談を綴らせて頂きました。

良くなくて良いのです。悪くなっても、結果を急ぐ必要はないのです。一番シンプルに言うと、自分に関わる全てを受け入れるところから始まる気がします。そして、本当にしなければならない事は、嫌でも訪れて来るものです。

生きるって、そういったことです。

猫島

 

最後に

猫島さんの言葉は経験したからこそ言えるものだと思います。実際に体験して、見て感じたからこそです。私も猫島さんの言う「あの空間」を霊視していますが、経験するのではなく、横から眺めているだけなので、その本当の苦しみまでは分かっていなかったかもしれません。

自殺されようとされる方は、今の苦しみから抜け出そうとしているのだと思います。きっと自殺したらその苦しみから解放されるのだと信じて。でもそんなことはありません。もっと苦しい世界にずっといなくちゃいけない。そんな目にあってほしくないです。

猫島さんが仰る通り、私もこの記事によって少しでも多くの命が救われることを願ってやみません。

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この記事の著者

仁科 勘次
仁科 勘次
蒼色庭園代表。中学校2年の頃からタロット占いを始め、高校時代にはのべ2000人を占う。のべ人数600人を越えた辺りからカードから声が聞こえるようになり、カード1枚1枚を人格と捉え、その交わりの中で占いを展開していく手法を確立。

その後、天使喚起に成功。その時に啓示が降り、その言葉に従い霊能者としての修業を開始。以後、過去世の記憶を取り戻すなどの変化や高級霊との交信や退魔の荒行を経て覚醒。

現在では、悩みに悩み苦しんでいる方を鑑定して、少しでも楽になっていただくことや、霊的な障害で苦しんでいる方をサポートしつつ、タロット占いをもっと世の中に広めていくためにタロットスクールを展開している。

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